安比塗漆器工房

    東北から全国に巣立つ、漆のネットワークのはなし。

    年が明けると「赤」がよく目に入る。今年は豪雪も相まって、真っ白な景色の中にぽっと赤のモチーフがあると、少しばかり寒さが和らぐ気がする。和のイメージの「赤」に、朱塗の漆椀を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。日の丸のように綺麗で深みのある、まあるい赤の漆のお椀。

    とはいえ、一口に「漆」と言っても、本物の漆の樹から樹液を採取することは難しい。最近は、漆に近い化学物質の「ラッカー」がよく普及している。特に西洋や欧米には漆の樹が少なく、ラッカーが一般的だ。日本には古くから漆の樹が自生していることから、天然漆は英語で「Japanese lacquer(ジャパニーズラッカー)」と呼ばれ、区別される。いわば、天然漆は日本を代表する工芸であり、お正月に漆器を思い浮かべるのは、日本人特有の感性ともいえるだろう。

    その天然漆の樹のほとんどは、現在では岩手県北部に集中して分布している。そのため、岩手県内には数多くの漆器工房がある。その中でも、僕が以前から気になっている工房が一つあった。それが「安比塗漆器工房」だ。

     

    安比塗漆器工房をはじめて知ったのは、2019年に開催された「全国工芸EXPO in IWATE」という展覧会だ。安比塗漆器工房の職人さんの1人がトークイベントに登壇していて、話を聴講する機会があった。漆器のクオリティーがとても高い一方で、「20から30代がメインで制作している」とのことで、その若さのギャップに驚いた。中には専門学校を卒業してすぐに、20歳で務めた職人さんもいるとのことで、高齢の職人が多い業界の中での珍しさに興味が湧いた。

    今回、岩手県八幡平市にある工房を訪ね、トークイベントで登壇していた、工房の代表を務める工藤理沙さんにお話を伺った。


    どうして、漆の職人になったんですか?

    そもそも、「漆の職人になるための進路」は一般的には想像がつきにくい。どうしても、年配の方が営んでいる個人工房に「弟子入りさせてください!」と飛び込んでいく姿を想像してしまう。しかし、ここ安比塗漆器工房の施設内はとても清潔感があり、そんな弟子入りのイメージを払拭してくれた。

    工房代表の工藤さんは奈良県出身で、学生のころは愛知県の大学に通っていた。様々な工芸の技術を学ぶ中で、漆のおもしろさに気づき、漆職人として生きていくことを決意。しかし大学の授業内容が、一点ものの「オブジェ」を制作するアート寄りだったことから、もっと生活の中で使う器を作りたいという自身の想いとの間にギャップを感じた。

    卒業が迫ってきた頃、担任に悩みを打ち明けると、「安比塗」をおすすめされる。工房には、八幡平市が運営する「安代漆工技術研修センター」が併設されていて、生活道具としての漆器を作り、職人として独立するまでのイロハを学べる環境が整っていた。しかし、授業料は市が補助してくれるものの、収入を得ることはできない。大学卒業後すぐに就職できないことに苦労もあったというが、一人前の漆職人として独立したい強い意志で、研修センターに入所した。


    漆の研修センターでの学び

    安代漆工技術センターでは、ベテランの職人から直に技術を学ぶことができる。就業時間も毎日みっちりと決められていて、2年間の研修期間はあっという間に過ぎていった。工藤さんは「漆にまつわる道具やテストピースがたくさんあって、今思えばまだまだ勉強が足りていなかった」と振り返る。それほど、漆を学ぶのに相応しい研修センターだ。

    僕がセンターを訪ねた時にも、ちょうど受講生が、修了制作として自分の好みの形のコップを作っていた。漆の招き猫や、スピーカーなど、思い思いの作品を制作している様子は見ているだけでもワクワクする。

     

    漆を塗るだけではなく、樹液の「生漆(きうるし)」を精製して、透明な塗料に変換するまでの工程も学習する。漆の樹液はナマモノのため、夏と冬で扱いが異なる。樹液を採る人を「漆掻き(うるしかき)」というが、掻く時の力加減によっても漆の質が変わってくるという。

    山に囲まれた八幡平市の四季を経験しながら、2年間を通して漆の扱い方を肌で感じて「自分のもの」にしていく。そうして工藤さんは独立することになるが、当時の安比塗漆器工房は八幡平市が運営していたという。

    「研修センターが市営であることは、授業料の補助に繋がり本当に助かっています。でも、実際にできた漆器を販売していく安比塗漆器工房が市営だと、利益を出せないという制約にぶつかり、食べていくのが難しかった。そこで漆器工房を”企業組合”として法人化して、安比の漆器の販路開拓に努めました。」

     

    工藤さんが安比塗漆器工房を法人化したことで、販売するお店への営業や出荷なども、手探りながらも自分の手で開拓していった。
    その土台があって、今は代表の工藤さんを筆頭に、20代から30代の4名で工房を運営している。ポップアップショップにも自ら出店していくため、漆器の制作以外にも、販売に関わることを学んでいく。

    「安比塗漆器工房の職員は作り手でもあり、売り手でもあります。1人が催事に出かけて欠けてしまっても、塗料を精製する工程、漆を塗る工程、研磨する工程を全員が習得しているので、補い合って運営できます。研修センターで技術を培ったメリットでもありますね。」


    産地からの卒業

    話を伺いながら、ふと、日本の他の地域の漆の産地のことが気になった。例えば、会津塗や輪島塗のように、「○○塗」という名前が有名な産地は他にもある。安比塗は1983年から研修センターを運営しているが、産地として名前が上がってこないのはなぜなのだろうか。

    「研修センターを経て安比塗漆器工房に勤めるのは4名程度ですが、その他の修了生のほとんどは日本全国に巣立って独立していきます。他県で展開している研修センターや職人育成学校の場合、修了後は市に定住すること、つまり移住促進が目的になっていますが、八幡平市では定住を強要していません。その代わり、全国に安代漆工技術研修センターの同窓生のネットワークができるので、常に他の地域との親交があるんです。」

    工藤さんは、産地や工場が大きくなると、漆器が売れにくくなった時のリスクも高くなると考えている。個人が小商いとして独立しながらも、全国に仲間がいる方が、今の時代にマッチしているからだ。

    安比塗漆器工房のギャラリーショップには、全国の「漆仲間」の工芸家の作品が並んでいる。囲い込んだり、産地としてブランド化していくのではなく、山に自生する漆の樹々のように、個々が力強く歩みを進めているように見えた。
    その中で、安比塗漆器工房で手がけるお椀はシンプルなものが多く、修了生として独立した作家の、個性ある作品との住み分けもきちんとなされていた。

    ものづくりの業界に限らず、日本全国、様々な街が移住・定住・観光・インバウンドなどの「数」を稼ごうとしている中で、数値化できない「繋がり」や、お互いの持ち味を尊重しあう姿勢に、とても好感が持てた。

     

    工房から帰る途中、近くにある「八幡平市博物館」を訪ねた。安比塗の発祥は江戸時代と言われている。博物館には、当時の汁椀・飯椀・小皿が三つ入れ子セットになっている「みつわん」が展示されていた。日常の暮らしの中で使い古されたみつわんは美しく、ここ安比の土地に根付く道具としての迫力を感じた。

    安比塗漆器工房のすぐ近くには天然温泉の塩湯が沸き、漆でかぶれた時に浸かると、炎症が治る効能がある。江戸時代の漆職人も、この場所に沸く大地の恵みの塩湯で傷を癒したのだろう。

    2020年は混乱の年になったが、もっと長い時間の視点で「安比塗」の継承を見据える柔和な姿勢に、大切なヒントが隠されているように感じた。

     




    取材・写真:岩井 巽(東北スタンダードマーケットディレクター)
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