弘前こぎん研究所

    制限の中から生まれた美。
    こぎん刺しの伝統を
    未来に伝える弘前こぎん研究所

    限られた条件の中で生まれた無数の模様

    本州の最北端に位置する青森県。西部は「津軽地方」と呼ばれ、冬は厳しい寒さと雪に見舞われる地域です。

    青森県の伝統工芸品に指定されている「こぎん刺し」は、津軽地方の特有の環境の中で育まれてきた技。現在ではポーチや名刺入れなど、私たちに身近な製品に見られますが、かつては農民たちの衣服に施されたものでした。

     

    津軽地方では1、3、5と奇数の目数で布目を拾い、刺していく菱形の模様が伝わっています。目をずらし刺すことで描き出す幾何学模様は、組み合わせにより無限に生み出すことができます。

    江戸時代、津軽藩により治められていた津軽地方は財政が厳しく、飢饉や倹約令によって農民たちの暮らしは多くの制限を受けていました。農民たちが着ることを許されたのは「地布(じふ)」のみ。津軽地方では綿花が育たず木綿は高価なものだったため、地元で育つ「麻」の着物のみが許されました。

    農民たちが着用していた、着丈が膝上くらいの麻の着物は「短い衣」を現したとされる「こぎん(こきん、小布、小巾など)」と呼ばれ、こぎんの肩や肘の部分に補強として、また、寒さを凌ぐため、布目を塞ぐように「麻糸」で刺し綴ったのが始まりとされています。

     

    江戸時代中期に比良野貞彦が記した『奥民図彙』(1788年)に、肩の部分に「こぎん刺し」の模様が施された着物を着た農民(ページ左)が描かれています。

    江戸時代後期には藩の財政を立て直すために様々な改革が行われ、購入した綿を織物にするよう指導が行われます。これにより「弘前手織」と呼ばれる木綿の織物が誕生。その余り糸が農民たちにも手に入るようになったと考えられ、今日に残る、「麻布」に「木綿糸」で施す「こぎん刺し」が、この頃の農民の衣服に見られるようになりました。

    「麻糸」より暖かく、刺しやすい「木綿糸」の普及により、いくつもの模様が生まれていったようです。

     

    『弘前こぎん研究所』で収集された「こぎん刺し」が施された生地の一部。

     

    生地が藍染であったことも特徴的。高貴な色や高価な材料による染色も禁止されていたため、自生した藍で染められた布しか使うことができなかった。だからこそ白い木綿糸が映える美しい模様が生まれたとも考えられます。

    「柳宗悦も、虐げられた禁制の中で女たちが産んだ美、という表現をしていますが、裕福であればこうした綺麗なものはできなかった可能性もあるし、家族のために新しいものをつくろう、お隣さんが刺した模様にかぶるのは絶対嫌だと、競って違う模様を一生懸命考えた、だからこうしたいろいろな模様が生まれたと想像できますよね」と笑顔で話すのは、『弘前こぎん研究所』の三代目所長・成田貞治さん。

     

    貞治さんの愛用品は帯に「こぎん刺し」が施された帽子。特注品ですが、製品化も考えているそうです。ジャケットは父の形見で、式典などで着用しているそう。

     

    明治以降、こぎん刺しは衰退しますが、家々に残る数々の「こぎん刺し」が施された布を集め、研究し、その技術を継承してきたのが『弘前こぎん研究所』です。農村に家内工業を興そうと設立された『木村産業研究所』内に、1942年、『弘前ホームスパン』として創業。戦中は軍服などへの需要からホームスパンの製造が奨励されていましたが、柳宗悦らの勧めもあり、戦後はこぎん刺しの研究や製品の開発に事業の中心を移行。1962年に『弘前こぎん研究所』と社名を変更します。

     


    2023年からは会長職に就く貞治さんは、二代目所長の父・治正さんから1982年に代表を引き継ぎ、催事への出店など直販を開始。ビームスや三越伊勢丹など大手企業とのコラボレーション商品の開発、フランス・イタリア・中国など海外での展示やワークショップの開催など、販路の拡大やPRに貢献してきました。

     

    2014年に三越伊勢丹とのコラボレーションで生まれた製品に施された「こぎん刺し」。模様は伝統に則していますが、布や糸は伝統に囚われずに開発されました。『弘前こぎん研究所』が通常販売している商品は、麻布に綿糸で刺すということを基本としていますが、コラボレーションでは様々な素材に挑戦しています。




    伝統を支える登録メンバーは約130人!

    『弘前こぎん研究所』では、認知拡大のための新しい取り組みを行いながらも、伝統的な製法を受け継ぎ、伝えることを大切にしています。

    研究所の作業場では製品のサイズに合わせた生地のカットや、刺し上がった生地の検品、アイロンがけなどが行われています。

     

    広巾の生地を製品に合わせたサイズにカットするのも手作業です。

    作業場のスタッフが色違いで持っているという針刺しにも「こぎん刺し」が施されています。

     

    では「こぎん刺し」はどこで行われているのか?

    研究所に出勤しているスタッフはわずか10名。全員刺す技術はもっており、急ぎのものや特殊なものは研究所内で刺すこともありますが、90%は「内職」で行われているそう。130人もの登録メンバーがおり、なんと縫製も、革製品など一部外注のものがありますが、ほとんどが登録メンバーにより手掛けられています。

     

    指令書になっているグラフと、布、糸をセットにして内職の刺し子に渡し、刺してもらいます。

     

    「130名全員が常時動いているわけではないですが、たとえばりんご農家のメンバーが忙しい時期は別のメンバーに手伝っていただいたり、補完し合いながら80年続けてきました。

    内職という形でやっていただいているので工人とは言えないのですが、製品の単価を抑えることができるのはそれが故ですし、納期が短く納品数が多い注文にも対応できます」と貞治さん。

    2023年に四代目所長に就任する千葉弘美さんも、「内職の方たちのおかげで製品をつくり続けることができています」と話します。

     

    2022年は創立80周年の節目。伝統や思いは次女・弘美さんへ受け継がれていきます。弘美さんは2005年に入社。父よりも年上の、年齢の離れた内職の方たちとの交流も多かったと言います。いくつになっても携われる仕事であることも尊いことだと感じます。

     

    伝統に則した刺し方や製品になるための寸法の指導など、講習会や勉強会を経た女性たちによりつくられている『弘前こぎん研究所』の商品。

    刺し裏が美しい人には、裏側が見える「センター」、縮まずに刺せる人には総柄の大きな商品、仕事の合間に小さいものを刺したいという人には「くるみボタン」など、個人個人の特性に合わせ、できることを依頼しているそう。

    サポートメンバーのほとんどが弘前市内在住と、商品の多くがまちぐるみでつくられていると想像するとより愛着が湧いてきます。

     

    刺し上がってきた生地は1点、1点、研究所でアイロンをかけ、縫製するサポートメンバーの元へと渡ります。

    スタッフも「こぎん刺し」の商品を愛用。写真は働き始めて所長からいただいたという小銭入れ(現在は廃盤)。

     

    また、通常販売している製品の生地は、広巾のものを外部の工場で年に一度特注で織ってもらいカットしていますが、小巾の帯は今でも研究所内で手織されています。遡れば、手織の布に手で刺していた「こぎん刺し」。ホームスパンを手掛けていた歴史から手織の技術は残りましたが、毛織物の技術は途絶えてしまったそう。

    「小巾の帯を手掛けられる織姫もひとりだけになってしまいました。この技術もなんとか伝えていきたいと思っています」と貞治さんは話します。

     

    『弘前ホームスパン』で使用されていた機で小巾の麻布を手織りしています。


    「津軽こぎん刺し」の伝統を残すために

    近年では『弘前こぎん研究所』の取り組みにもより、趣味などで「こぎん刺し」に携わる人が増えてきました。一方で、伝統に則さない模様を目にすることも増えてきたと言います。

    「『こぎん風』という表現であれば良いのですが、誤ったデザインが『こぎん刺し』として広がっていくのは避けたいと思っています。本来は奇数刺しも偶数刺しも『こぎん刺し』なのだけれども、学者たちによって、津軽地方の奇数刺しは『こぎん刺し』、南部地方の偶数刺しは『南部菱刺し』という概念ができたので、『こぎん刺し』とするものは伝統的な奇数刺しであることを守っていってほしい」と貞治さん。

     

    『弘前こぎん研究所』では、収集した「こぎん刺し」の伝統的な模様をグラフに写しとり、手織した布に新たに刺したものを資料として保管しています。

     

    『弘前こぎん研究所』では、受け継がれている伝統模様を元に、製品の形や値段に合わせてデザインを考えています。デザイナーはいないため、考えるのは研究所に出勤しているスタッフ。ひとりではなく、みんなでアイデアを出し合いつくっていきます。

    「刺し面積で値段が変わるので、刺しやすさ、価格、デザイン性を、みんなの知恵を集めて完成させています」と弘美さん。

    貞治さんは、「研究所では15時に休憩のお茶会をします。そこで気軽にあれこれアイデアを言い合えるのもいい時間です」と話します。

     

    小袋をつくるために描かれた製図。

    いくつもの案が蓄積されています。

     

    また、『弘前こぎん研究所』では、「津軽こぎん刺し」の「地域団体商標制度」の取得も目指しています。

    「『こぎん刺し』をみんなに楽しんでほしいという気持ちもありますので、『こぎん刺し』とは区別し、『津軽こぎん刺し』として発表する時には、手織りの麻布に、綿糸で、奇数の目数で布目を拾い、伝統模様を手刺しする。そうすることで商品価値も上がりますし、津軽地方に伝わってきた伝統を正しく残していきたいと考えているのです」。

     

    弘美さんの愛用品は名刺入れとペンケース。かわいらしい模様ですが、伝統に則して刺されたものです。

    ペンケースは実は二代目で、自身が入社して初めて加工したという初代ペンケースも見せてくれました。「ボロボロになって使えなくなっちゃったけど捨てられないですね」と弘美さん。

     

    貞治さんはまた、商売として成立することの大切さも繰り返し話します。

    先日、修学旅行生から「伝統は守らなくてはいけないものですか?」という質問を受けたという貞治さん。

    「哲学的なことを聞くなと、即答できなかったのですが、私たちは、昔からのものを商売としてやっているイコール伝承として成り立っている。逆説かもしれないけれど、守ることが目的ではなくて、商売として成り立っているからそれが伝えることになり、継承することができている。商売になるということの大切さは、小学生に講演をする時にも伝えています」。

     

    電気工事士だったという貞治さん。父から研究所を継ぎ40年。今後も衣服や、インテリアとのコラボレーションも構想しています。「弘前の地場の材料で、照明はブナコ、テーブルは津軽塗、タペストリーはこぎん刺しみたいな住宅ができたらおもしろいよね」と探究心も尽きません。

    弘美さんは「父の真似をしていてもきっとうまくいかないと思いますし、かと言って一人でできる力もないので、先輩が築いてきたものを所長から全部受け取って、勉強しながら、自分の形を見つけていきたいです」と話します。今後の展開も楽しみです。

     

    『弘前こぎん研究所』の人気商品は、使い勝手も良く値段も手頃なポーチや名刺入れ、ブックカバーなど。『東北スタンダードマーケット』でも取り扱いがあります。

    「東北スタンダードマーケット×弘前研究所」と記載のある商品は、いずれも色やデザインを指定した『東北スタンダードマーケット』オリジナルです。ぜひお気に入りを見つけてください。

     

    『弘前こぎん研究所』の入所する建物も必見です。設計は前川國男。1932年竣工で、2021年8月 には国の重要文化財に指定されています。「こぎん刺し」の商品を購入できるほか、見学も可能です。

    取材:佐藤春菜

    <弘前こぎん研究所>
    住所:青森県弘前市在府町61
    TEL:0172-32-0595
    営業時間:9:00〜16:30
    定休日:土・日曜、祝日
    Web:https://tsugaru-kogin.jp


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