「玩具」という名のおもちゃ。東北の「ぽっぽ」のはなし。
取材・写真:岩井 巽(東北スタンダードマーケットディレクター)
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郷土玩具ってなんだろう?
郷土玩具(きょうどがんぐ)という言葉を耳にしたことはあるだろうか。だるま、こけし、赤べこなど、いわゆる旅のお土産として扱われるものである。
僕が「郷土玩具」という言葉と出会ったのは高校生の時だった。仙台市の高校に通っていた僕は、福島県郡山市の高校との交流会で一泊二日の合宿に参加した。当時は誰と誰が付き合っているだとか、枕投げだとかで盛り上がっていたが、お別れの会で先生の口から“その言葉”が発せられた。
「旅の思い出に、皆さんに福島の“郷土玩具”をプレゼントします!」
そうして貰った「三春駒」の箱をそっと開けた高校生たちは、「おぉ〜……」というリアクションをとっただけで、それをカバンにしまった。男子高校生の部屋には全く馴染まなかった郷土玩具は、箱に入ったまま実家のベッドの下に置いてけぼりになった。しかし「郷土玩具」という言葉の違和感は強く残ったのだ。
「玩具ってどういう意味だろう……?」
それから10年が経ち28歳になった僕は、なぜかちょっとした郷土玩具の収集家になっている。今では100体以上を所有し、上の写真は僕の本棚を住処とする郷土玩具たちだ。
あんなにも郷土玩具に無関心だった自分が、ここまで集めるようになったきっかけとなったのは、山形県米沢市の木彫「笹野一刀彫(ささのいっとうぼり)」との出会いだ。
笹野一刀彫とは
笹野一刀彫は、山形県米沢市笹野地区で1000年以上前に生まれた木彫の技術。この地区の象徴的なお寺である「笹野観音寺」で神棚に供える木の造花として発祥した。豪雪の米沢市では冬季に花が採れず、「笹野花」と呼ばれる造花は重宝されたそう。
江戸時代前後までは、大黒天や恵比寿といった「福の神」の縁起物が良く作られた。これらも神棚に供えるための置物だが、神棚の減少によって今では作られていない。たまに骨董市で真っ黒の恵比寿様を目にすることがあるが、かつての日本家屋は囲炉裏があったため、すすけたことで黒くなったのだという。
現在もっとも主流な笹野一刀彫は「お鷹ぽっぽ」。米沢市の武将「上杉鷹山」にあやかって鷹の形をしている。昭和から米沢市のお土産として広く親しまれている。
このように、同じ技術を使いながらも形を変えて続いてきた笹野一刀彫。その歴史の中で「郷土玩具」と呼ばれるようになったのはいつ頃なのだろうか。神棚がある家庭が減っていくと共に、経済が発展してお土産化していく、その間。それは1800年代なのではないかと僕は考えている。
200年前の「ぽっぽ」
1800年代に生まれた笹野一刀彫は、子どもが見ても「可愛い」と言ってくれそうな無垢な表情をしている。
この鷹ではない「ぽっぽ」は、山形市を会場とした芸術祭「山形ビエンナーレ2018」の企画の一環で、地域にまつわる工芸の由来を調べるプロジェクトの中で発見された。笹野一刀彫の工房を尋ねた際に、工房の一角に飾ってあったモノクロ写真にこの「ぽっぽ」が写っていたのだ。
聞くと、江戸時代前後には子どもがぽっぽを背負ったり、紐と車輪をつけて引っ張るなど、僕が予想していた通り、本当に遊び道具として親しまれていたそうだ。僕らにとってはこの絵付けがとても魅力的に感じられたのだが、すでに工房では廃盤になり久しかった。先に触れた「お鷹ぽっぽ」の形がお土産需要として一般化していた上に、今の子どもたちはぽっぽでは遊ばないのだろう。それでも「どうしても復刻してみたい」という僕らの無茶振りに応えてくださり、今に蘇ったのだ。
ぽっぽ=おもちゃ
実はぽっぽという名前にも意味がある。アイヌ語で「ポッポ」は「玩具」という意味を持つといわれている。
ここでなぜ突然アイヌの話が出てきたか疑問に感じる人もいるだろうが、先に紹介した「笹野花」は、アイヌが儀礼で使う杖「イナウ」にとても似ている。笹野一刀彫が発祥したのが806年。アイヌ(もしくは蝦夷)が東北地方で広く暮らしていた時期と重なっている。当初は神に備える縁起物として生まれた一刀彫が、いつからか子どもの玩具になった。
その経緯や、本当にアイヌが始めたかは定かではない。しかし、こんなにも大きな刀を持つ木こりが、小さな子どものためにおもちゃを作ってあげたというエピソードに心を打たれた。
それにおもちゃでありながらも、目がついていることで「厄除け」、羽に木々が描かれていることで「五穀豊穣」などの願いも込められていたそう。色や形に意味があり、しかも愛おしいというギャップが、僕にとっての郷土玩具の魅力だ。
郷土玩具にはそれぞれの地域に由来した、ものがたりが込められている。それはきっと、その地域にとって伝承していきたいアイデンティティーそのもの。誰でも親しみやすいおもちゃの形で伝える「ぽっぽ」は、もの静かな生き証人のようだ。
郷土玩具を知ることでその土地に少し近づくことができる。実家に戻った僕は、あの日、ベッドの下に置いてけぼりにした三春駒をそっとカバンに仕舞った。