その土地を名乗る三輪田のうつわのはなし。

取材・写真:岩井 巽(東北スタンダードマーケットディレクター)

分校の工房から生まれるもの

石巻市の中心街から更に車で20分。北上川が一望できる開けた場所に、三輪田窯(みのわだがま)という陶工房がある。海を思わせるような深い青色が特徴的な器は、海鼠釉(なまこゆう)と呼ばれる釉薬(うわぐすり)で色付けしている。ぽってりとしているのに軽く、凜とした雰囲気を持つ。

 

ここで作陶している亀山英児さんは、もともと仙台市にある堤焼乾馬窯(つつみやき・けんばがま)で8年間修行をし、石巻市で独立した。大きな焼き窯を使える場所を探していた時に運良く見つかったのが、今の工房だ。実はここ、石巻市立二俣小学校の三輪田分校の跡地を再利用して工房にしている。つまり三輪田窯という名前は、工房を構えた土地の名前そのままなのだ。独立すると、本名で作家として活動したり、ブランド名を考える作り手が多い中で、なんとも潔い。

工房の入り口には、近隣の海で採取したホタテの貝殻が転がっている。これを砕いて釉薬として使う。他の原料である雄勝石(おがついし)や稲井石(いないいし)なども、石巻市の中の地域で採れるものだ。「その土地のもので、いつも使える器を作る」ことが、亀山さんのポリシーだ。

 

実はこの考え方の背景には、修行をしていた堤焼の影響が強くある。堤焼の名前の由来も、かつて堤町に窯元がたくさんあったことから来ているからだ。江戸時代に、伊達家が江戸から陶芸家を招いたことで堤焼は生まれた。

かつての堤焼の産地には、近隣の土を使い、庶民が普段使いできる焼物を作る工房が数多く存在した。中でも大きな水甕(みずがめ)は重宝された。水道がない時代に、土に甕を埋めて、雨水が自然に溜まるようにして再利用していたからだ。「その土地のものでいつも使える器」という亀山さんのポリシーのルーツとなった器だ。

 

とはいえ、江戸時代と今の時代を比べると、必要なものは有り余るほど手に入る。九州の器だって、北欧の器だって、どこかで買って生活に取り入れることができる。作り手の方にも変化が起きていて、陶芸家になろうと思い立ったら、通販で良い土を取り寄せて、電気窯で焼けば、自宅でもちょっとしたものをハンドメイドできるようになった。個人がクラフト品を販売できるアプリも増え、最近ではメルカリで売る人もいるようだ。

そんな今でも、地元産の原料でものづくりをする意味はどこにあるのか。その答えは”これ”とは言い切れないが「よりどころがあること」が大事なのかもしれないと、僕は感じた。陶芸は一点一点の自由度が高いものづくりだ。同じ人が焼いても、違う人の作品のように見えることもあるし、違う工房の作品でも、似て見えることもある。その中で、どこかで修行をしていたという軸や、地元産の原料を使うという軸があることは、貴重なことだと思う。

 

実は今回工房に伺ったのは、三輪田窯さんと新しい器づくりに挑戦しているからだ。いつもお店では青い器の取り扱いをしているが、最近、亀山さんが波の模様を入れた器を作っているのを見つけた。その大らかな絵付けに魅了され、新たなシリーズとして色々な形が見てみたいと感じた。半年ほど前から、試作を繰り返している。

オリジン=ルーツがあるからこそ、オリジナルが生まれると聞いたことがある。「地元産の原料」「堤焼の系譜」という2つのルーツを活かし、ここ三輪田でしか作れない器を生み出す姿を、これからも見続けていきたい。