強面だけど心優しいカマガミサマのはなし。

取材・写真:岩井 巽(東北スタンダードマーケットディレクター)

仙台市から石巻方面に行く時、いつも「道の駅 上品の郷(じょうぼんのさと)」に立ち寄っている。石巻周辺で採れた新鮮な野菜や、地元のお菓子屋さんが作ったかりんとう、陶芸家の焼き物、地域色のある缶詰など様々な品物が並び、しかも温泉まであるのだ。他の道の駅とは一線を画す大きな施設で、とても楽しい。だからトイレ休憩は必ずここでと決めていて、わざわざ一回高速道路から降りる。

その上品の郷のトイレを借りるとき、いつも目にするお面がある。

 

信じられないかも知れないが、トイレの入り口がこうなっているのだ。
しかも、全て売り物として値段がついていて、大きいものでは3万円以上。

このお面の正体は「窯神様(カマガミサマ)」という。

竃(カマド)の上、つまり台所に飾ることで「火事が起きないように」=火伏せのお守りとなる、宮城県の縁起物だ。現代では「竃」という漢字に出くわす機会すら少なく、もしかしたらカマドがどういうものか分からない人も多いかもしれない。

 

カマドとは、土や石で作った四角い調理場のこと。上に鉄製のご飯釜を置き、その下で火をおこす。今のキッチンで言うところのガスコンロに近いが、便利な火力調整のツマミなんてないので、当然火事になるリスクもあった。
台所を守ること=家を守ることと言っても過言ではなく、窯神様の強面は火の用心の戒めに一役買っていた。

そういった信仰の由来も面白いが、初めて窯神様を見たとき、何よりその顔立ちにかっこよさを感じた。宮城で彫られたものなのに、日本らしさだけではない雰囲気を兼ね備えていて、異国のお面を連想した。
我が家は、父親がなぜかバリ島フリークだったので、実家には「バロン」というお面が置いてあった。幼少期から訳も分からずバロンを眺めて育った自分にとって、窯神様を見たとき、一目で惹きつけられたのだ。
今ではトイレ休憩がなくても、上品の郷で下車して窯神様を眺めてしまう。

そんな自分にとって願ってもないチャンスが訪れた。アメリカ・ロサンゼルスで東北の郷土芸能や工芸を展示する仕事をいただいた。
これは是非とも窯神様を展示したいという想いから、工房を調べてアポイントを取ることにした。

調べを進めていくと、実は石巻市ではなく加美町で作られていることがわかった。お一人の工房ではなく、「加美町木彫りの会」として会員の皆さんで作られているそうで、何点か、貸してくださるという。
しかもちょうどいいタイミングで、窯神様の展覧会を行うというので、そこへ伺ってお借りするものを選ばせていただくことになった。

 

展覧会の会場である富谷市公民館に着くと、上品の郷にもひけを取らない数の窯神様が並んでいた。中には、大人の腰の高さほどもある大きなものも。加美町木彫りの会の会長さんが彫った大作だ。

「この窯神様に使った木は、もともと神社の御神木だったんです」と会長さんが教えてくれた。

聞くと、元々は大工が家を建てる時に、家屋に使った木材の余りを彫ったのが窯神様文化の始まり。
それを主人に贈り「家が長く続くように」という思いを込めたそう。つまり民間の風習として生まれ、無名の職人がたくさんいたということになる。松川だるまや白石紙子のように代々工房を続けている伝統工芸というよりは、一人の大工さんの想いから、自然に広がっていったと考えられている。そのため正式な発祥は分かっておらず、謎も多い。

 

自然発生的に生まれた風習だからこその、面白い話がある。実は木彫りだけではなく、土で作られたものも存在する。
窯神様文化は主に「宮城県内陸」と「宮城県沿岸」の2箇所で続いてきたので、場所によって建築に使う素材が違うからだ。
内陸の家は木造建築なのに対して、沿岸の建物には土蔵や土壁が多い(沿岸部では潮風が吹くので、その対策とも考えられる)。
沿岸部では、左官職人が余った土で窯神様を作ったという説もある。目には貝殻が入ることもあり、その土地の素材をフル活用して工夫されている。

 

そのほか、展覧会の会場の中には、東日本大震災で被災した家屋の材料を使ったものも展示されていた。

 

この窯神様は、被災により倒壊した、石巻の古民家の杉の木で作ったもの。ところどころ割れや虫食いもあって、迫力を増している。
形あるものはいつか壊れてしまうが、それがまた身近に置いておける形に生まれ変われば、一生モノのお守りになる。
窯神様は遥か昔に生まれた文化だが、今の時代にも適したアップサイクルになり得るかもしれない。

いつか自分も、思い入れのある木材で彫ってみたい。