ここに、窯があったらしい。伝説から生まれた八戸焼のはなし。

取材・写真:岩井 巽(東北スタンダードマーケットディレクター)

青森県八戸市の中心地から、南方向へ車で30分。
港のまちとして知られる八戸市だが、これだけ移動すると山深くなってくる。
その山間に陶工房を構える「八戸焼・昭山窯」のもとを訪ねた。

私事だが、#もののすがた 連載開始から3年間ほど暮らした仙台市を離れ、
つい1カ月前に、青森県八戸市に移住してきたばかりだ。

「八戸焼」と、この土地の名前がついているならば、
まず最初にご挨拶をさせていただきたいと思い、工房に伺った。

 

八戸焼・昭山窯の渡辺真樹(まさき)さんは、この窯の二代目職人だ。
「昭山窯」は、先代である渡辺昭山氏の名から取ったという。

工房を案内していただくと、屋根裏に机と椅子が並んだ広いスペースを見つけた。

「ここは何に使われているんですか?」

「今年から、会員制の陶芸教室をはじめたんですよ。新型コロナの影響で観光で陶芸体験をされる方が減り、お休みの期間で屋根裏を改装して、会員制の塾にしたんです。」

屋根裏とは思えないほどしっかりとリノベーションされ、屋外にログハウス風の水洗トイレまで引かれているのを見て驚いていると、渡辺さんはこう続けた。

「器を焼く時の電気窯も古いもので、何度も自分で直しているんですよ。関東に窯があれば工業メーカーが修理に来てくれますが、青森までは来てくれないもので……。配線や銅線も、自分で曲げて修理しています。」

ものづくりをする人は道具も自分で作るというが、設備まで整えるとは。柔和な印象の渡辺さんだが、簡単なことでは倒れない力強さを感じた。

……ここで少し、八戸焼発祥について伺ってみた。

「八戸焼の歴史は、実はそう古くないんですよ。父の昭山が昭和50(1975)年にこの窯を開きました。父は新潟県の西部にある佐渡島から渡ってきて、開山したんです。」

 

佐渡島の陶工房の三代目だった渡辺昭山氏は、江戸時代の日本の窯元をまとめた書籍の中に「八戸焼」と書かれているのを目にしたという。

昭山氏の奥様の故郷が八戸だったこともあり、何度も八戸を訪ねては「八戸焼」の情報収集に没頭した。

文献にも数行しか記述のない、幻の「八戸焼」の跡地を、自分の足で探し回った。

なかなか情報が得られないながらも、くじけずに探し回る中で、江戸時代の終わりまでは「蟹沢焼(ガンジャ焼)」の産地があったことを知る。

”もしかしたら”との想いで、八戸市内の蟹沢山をくまなく探索すると、雑草が生茂る中にかつての穴窯を発見。その「ガンジャ焼」が近代になって一時的に「八戸焼」と呼ばれたこともあったそうだが、窯の主はとうの昔に行方不明になっていた。

昭山氏は窯の跡地を掘り起こし、窯道具の破片を持ち帰り、程近い場所に「昭山窯」を築いて独立したという。

……そんなウソのようなマコトのような話を聞いていると、

「そう、これがガンジャ焼の破片なんですよ。」

と、渡辺さんがおもむろに暖炉の後ろから陶片を取り出した。

 

すり鉢と見られるものの破片や、器を焼く時に「土台」になる陶道具の破片。家の瓦の破片も出土したそうだ。江戸時代の出土品ながら、まるで縄文土器を見ているようだった。

渡辺さんは、「八戸焼にはこれといった特徴はないですよ」と笑いながら、ガンジャ焼のことを教えてくれた。

「ガンジャ焼の破片は、瓦や鉢など、生活に必要な道具ばかりだったみたいですよ。八戸焼はお城の御用窯じゃありませんし、高級な献上品でもない。伝統工芸というよりは、日用の陶工房ですね。」

八戸の土を使いながら、時代時代にあった陶工房のあり方を開拓して進んでいく力強さは、まるで無名の「農家」のようだと感じた。

 

工房を後にする時、ふと自分の祖父のことが頭に浮かんだ。
実は自分が八戸に移住してすぐに、隣町でりんご農家を営む祖父が他界した。

青森県はりんごの名産地という印象が強いが、りんごはヨーロッパからに日本に来た果物で、国内での歴史は100年程度だ。
きっと、当時日本に渡ってきたばかりのりんごが育ちやすい環境が、たまたま青森県だったのだろう。

僕の家系は明治時代からりんご農家になり、初代は「権四郎(ゴンシロウ)」と名乗っていたそうだ。
父がりんご農家を継ぐ前に祖父が他界してしまったために、今、りんごの木を切るか、なんとか残すか、その判断の境目にいる。

八戸焼のように、実家のりんご農園も一度途絶えてしまうかもしれない。
周りのりんご農家もいくつか廃業したようで、町の中には荒れたりんご畑も見受けられる。

果樹栽培は工芸品と同じように手間暇がかかるので、この先ますます減少していくかもしれない。

もし廃業したとしても、いつか、「ここにかつて権四郎りんご園があったらしい」などと聞きつけて、荒れ果てた地を耕す人が現れるのだろうか。

それとも、縄文時代にはりんごの代わりにトチの実がなっていたのだろうか。

そう考えると、脈々と続く「地の利」が、知らず知らずのうちに、僕らの生き方を導いていくのかもしれない。

 

八戸焼、そしてかつての「ガンジャ焼」は、果物や野菜と同じようにこの土地に“実る”器だ。

この山を開拓して、耕した昭山窯の豊作を祈願したい。